意外に食う機会が少ないんですよね。回る寿司屋にでも行けばイヤでも食うことになりますが、焼き魚だの煮付けだのってなると定食屋にでも行かないと食えないし、これがお値段が結構いい値段するわけで。

個人的には魚は好きです。もっとも外食で食う魚限定ですが。家で出てくる魚料理ってなぜかちょっと生臭さが残っていたり、調理法がイマイチだったりして美味しく食べられることが少ないんですよね。その点、外食で食う分にはそういうのがないので美味しくいただけると。

ただ、上に書いた通り決してお安くはないのと食えるところが限られているので、滅多に食うことはありません。少なくとも寿司とか飲み屋でのつまみを除いて、純粋なおかずとして魚を食ったのは10年単位でご無沙汰してると思います。

もうちょっと安くなって、方々で食えるようになると魚もメシの選択肢に入るんですけどね。

結果ですね。

企業が宣伝のために使うSNSってなぜかFacebookが多かったりするんですが、意外にも「使いたい」になるとTwitterが1位になっちゃうんですね。LINEなんかも人気のようですが、Twitterの方が拡散しやすいし、手軽に扱えるってことでしょうかね。

FacebookとTwitter、LINEあたりはなんとなく使い方がわかるんですが、Instagramって果たして宣伝にどうやって使うのかが見当付かないんですよね。何か宣伝の写真でも投稿して、って感じなんでしょうか。

SNSのあり方からすると、Instagramってちょっと特殊な立ち位置のような気がするんですよね。宣伝向けじゃないかなぁと。

注力したいSNSだとTwitterが最下位らしいですが、記事によれば海外でのユーザーが少ないということのようで。逆にLINEが1位なのは国内で一番使われているからということらしいですが、LINEはパーソナルで使われる側面が大きいと思うので、拡散力はTwitterの方が上だと思うんですけどね。ただ、国内の企業が運営しているのでレギュレーションがしっかりしているというところは安心感につながるのかも知れませんね。

そう考えるとFacebookってどうしてそんなに使われるのか、やっぱりちょっと分からないんですけどね。

バレたとしても、たぶんレギュレーションには引っかからないんでしょうね。出題は「テーマに沿って作文せよ」なので、そこに架空の話を書こうが何だろうが、とにかくテーマに沿っていればOKということだったんでしょう。

しかし、たった600字という制限で限られた時間の中でよく架空の兄の話を創作できましたね。そこがすごいと思います。ワタクシには到底できないし、その場にいたらバカ正直に本当のことを素直に書いていたことでしょう。

入試に際しては小論文だの作文だのを課せられない学校・学科ばかりを選んだので、こういうシチュエーションは皆無だったわけですが、今でもやっぱり三題噺とか書いてみろと言われたら相当時間をかけて書くことになると思いますね。書くこと自体は抵抗ゼロなんですが、得手不得手はありまして、創作系は才能がないようです。

ところでしょうね。ロボットが配達しているならともかく、最終的に荷物を宛先に届けるのは人力ですから。人海戦術が取れなくなっている以上はやむを得ないでしょう。

ワタクシは実家暮らしで、午後に配達される分にはたいてい誰か家にいるので、あまり配達時間を気にせず注文することができるんですが、独り暮らししていると平日に受け取ろうっていうのはまず難しいでしょうね。まぁ、そこで夜間配達っていう需要が生まれたんだと思うんですが、21時段階でも帰って来れない人はやっぱり多数いるわけで、再配達やら持ち帰りやらっていう二度手間が発生して負荷が大きくなるっていうところなんでしょう。

ユーザーにとっては若干の不便が生じるわけですが、ユーザーと同様に配達するのも人なので、自ずと限界があるってことを忘れちゃいかんってことですね。

当日受け取りたかったらコンビニ受け取りとかを積極的に利用するとか、使う側もいろいろ工夫が必要になってくるのかも知れませんね。

年齢ではないと思うんですよね。

ワタクシの身の回りを見ていて「ああ、なるほどね」と思ったことがあります。まず、年齢は関係ない。見ていると30代でもおばちゃんを使わない場合があります。で、既婚か未婚かもひとまず関係ないっぽいです。

では、何が要因になっているかと言えば、子どもがいるかいないか。自分に子どもがいると年齢関係なく、小さい子に対して自分の呼称が「おばちゃん」になっているようです。逆に30を超えていても子どもがいないと「おばちゃん」ではなく「お姉ちゃん」と呼称していますね。

この記事はハタから見た場合、女性はどこから「おばちゃん」になるかを問題にしているんですが、問題提起となっている10代のガキが20代のねえちゃんをつかまえて「おばちゃん」呼ばわりして激昂したっていうのでもわかるように、極めて主観的なんですよね。

40代でも飲み屋へ行けば「お姉ちゃん」で呼ぶことがあるし、30代でも「おばちゃん」で呼ぶ場合もなきにしもあらずということで、逆に女性側から見たら、という話をしてみました。たぶん、女性が自覚して「おばちゃん」と呼称して使っている場合においては、他人から「おばちゃん」呼ばわりされても抵抗ないと思うんですよね。その辺、観察してると意外に面白いですよ。

いちいちごもっともですが、いろんな楽しみや必要だと感じていることを我慢したりレベルを落としてまで貯金することが正義なのかと言われると疑問に思いますねぇ。

例えば、帰省とかって会社の休みの時期が全国的に重なるんだから、人が多くなるのも値段が上がるのも仕方ないでしょう。貯金するために帰省しないってのはどうかと思いますねぇ。時期をずらせば安くもなるし空いてるでしょうが、ただでさえ有休が取れないのが問題になっているくらいだから、それが難儀なことは十分予想できると思うんですけどね。

旅行とか車は趣味の範疇なので、必要ない人は必要ないでしょう。ただ、好きな人に貯金のために我慢しろ、はやっぱりないんじゃないかと思いますね。

家も買うか賃貸にするかでだいぶ考え方が違うでしょう。買いたい人はモノが一生モノなので、いろいろ考えて買うだろうからこれも貯金とはあんまり関係ないと思うんですよね。

自分へのご褒美が無駄遣いの口実に過ぎないっていうのはごもっともですが、貯金のために生活して仕事しているわけでもないし、貯金を何のためにするのかっていう問題もあるので、この記事の言い分がすべて正しいとはちょっと言い難いですね。

あったかも知れませんが、車掌よくやった、と思いますね。

列車に乗って運賃を払うのは当たり前で、それを意図して避けようとしていた高校生に間違いなく非はあるし、挙げ句「いくらっすか」はないでしょう。仕方ねぇ、払ってやるよっていう態度が見え見えだし、こっちは客だっていう意識も働いてますよね。

客と乗員という立場の違い以前に、目上の人間と年下の人間という立場の違いをまったく認識していないのはいかがなものかと思います。なので、胸ぐら掴んで一喝したくなるのは当然のことでしょう。

とは言え、ちょっと行きすぎたところがあるのは否めません。目上の人間としてはもう少し自制した対応をしても良かったのではないか、と思わないでもないです。大元はなめくさっている高校生が全部いけないわけですが、あまり極端な行動をとると挑発に乗ったような気分にもなるじゃないですか。なので、車掌の取った行動自体を否定するつもりはないですが、もうちょっと大人の対応ができたのでは、と思わないでもないです。

1人失ってしまいましたね。

渡哲也はすでに渡瀬恒彦がステージ4のガンで余命1年っていう告知を受けていた、という事実が亡くなってから明らかになったわけですが、ガン闘病中にも関わらず多くの作品に出演していたというのはさぞかし大変だったことだろうと思います。

テレビに当たり前のように出ているので、ガンであることも知らなかったし、昨日の訃報も正直驚きました。

72歳とは思えない演技っぷりでしたが、年齢を考えると仕方ないところだったのかも知れません。渡哲也が大腸ガンで生還を果たしているのとは対照的になってしまいましたが、本当に当たり役も多く、惜しい俳優さんを失ったと思います。

ご冥福をお祈りします。

正論かも知れないですけどね。エロ本は役に立たない商品ですが、おむつは赤ちゃんのいる家庭にとっては必需品ですから。コンビニで買えれば万が一の時にとても助かることでしょう。

ただ、コンビニもボランティアではなく商売なので、いろいろ考えるところはあると思うわけですよ。そこそこ面積のある店舗であれば、エロ本を売ることもおむつを置くことも可能でしょうが、狭い店舗ではなかなかそうもいかない事情もあると思います。

そうなると、売り場面積あたりの単価を考えれば、おむつみたいにかさばるものを置くよりは、単価がそこそこ高くて売り場面積を取らないエロ本の方が有利なわけです。

まぁ、あと記事でも少し触れられていますが、「エロ本を売らないでオムツを売れ」が主な意見なんですよね。これを並列で売っちゃいけない理由はないと思うわけです。ましてや、おむつくらい大きなものを置くようなスペースでエロ本を展開している店はまずないでしょう。

なので、こればっかりは近所のコンビニ事情次第ってところじゃないですかね。都内みたいに狭いスペースで経営しているところはおむつ展開は難しいでしょうけど、広い駐車場があるような郊外型の店舗なら楽勝で置けるでしょうし。

ないですが、死刑執行に一般人が立ち会うってのはどうなんでしょうねぇ。いや、道義的な問題もさることながら、人が「殺される」瞬間ってやっぱり見ない方がいいと思うんですよね。いくら教団に身内を殺された親族とは言え、人が死ぬ瞬間って見るべきではないと思うんですよ。下手するとトラウマになりかねないし。

遺族の気持ちなので、心情としてはよくわかるところはあるんですが、死刑執行を見たからと言って何が起こるわけではないじゃないですか。目の前で親族の敵が死ぬ様を見た、っていう事実が残るだけで、それ以上でもそれ以下でもないわけで。そこまで見ないと納得できないもんなんでしょうか。

死刑って合法的な殺人なので、殺人現場を目の当たりにするのは精神衛生上決していいもんじゃないと思うんですよね。なので、コレはさすがに認めるべきではないでしょう。代わりに遺族のケアをできる何かを考える方が建設的だと思いますね。