暴力だと言い切るなら

なぜ喫煙者を締め出す方向にしか頭が働かないのでしょうか。そこまで言うなら、タバコを非合法にすればいい話です。

やれ受動喫煙で死者が1万5000人だとか、受動喫煙は喫煙者の暴力だとか言いながら、一言も非合法にすればいいとは言ってないんですよね。つまり、言葉でいくら喫煙者が思い上がってるだのなんだの言いながらも、喫煙者の権利自体は認めているも同然です。こんな骨抜きな記事を読んで納得する方もどうかしてます。

だいたい、記事で受動喫煙による死者が1万5000人と数字を出しているなら、どのくらいの被曝状態にあった結果、1万5000人が犠牲になっているのかを明確に示すべきです。1日1本しか吸わない家庭と1日40本吸う家庭では明らかに数字が異なるはずなので、そういったところを明記すべきです。

そういった数字を示さずに「暴力だ」と言い切る方が喫煙者に対する「暴力」です。だいたい、非合法なことは何一つしていないわけですから。「除夜の鐘がうるさい」とか「保育園の子どもの声がうるさい」とかっていうクレームレベルの話でしかないです、コレ。暴力団のように非合法な団体が何かしでかしているわけでも何でもないですからね。

屋内全面禁煙を主張するのは結構。なら、喫煙所を増やすべきです。屋外の喫煙所まで減る一方で、ならばどこで喫煙すればいいんだ、って話ですから。これもまた喫煙者に対する「暴力」です。

おそらく、自分は喫煙しないし、海外では禁煙の方向に進んでいるという事実を持って「自分の主張は正しい」と思っているのでしょうが、それこそが思い上がりです。

本気で禁煙環境を成立させたいなら、タバコを非合法にする運動でも何でも起こしてみろ、って話です。非合法になって初めて「喫煙者はいかん」という話ができるはずです。禁煙を主張する人たちはおしなべてそこまで言わないし、それでいながら禁煙を声高に主張するっておかしいでしょう。おかしいと思わない感覚がすでにおかしい気がしますけどね。

by peugeot206ccs16 | 2017-01-20 02:42 | 感じたこと。 | Trackback | Comments(0)